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2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援のために私たち津軽衆野田村支援隊は岩手県久慈市の南に位置する野田村へ向かった。メンバーはすでに現地入りの経験のある土岐先生、弘前大学の山下准教授、弘前市職員、津軽衆デザイン会議、エコリパブリック白神、黒石やきそばの会、スポネット弘前、青森県社会福祉協議会など総勢約40名が支援隊として名を連ねた。目的は被災地における炊き出しの実施と支援物資の提供であった。 統一総選挙が近い青森県議会議員の岡元行人氏(おかもと行人)や弘前市議会議員三上直樹氏の姿もあった。 早朝5:00、弘前市早稲田のエコリパブリック白神の事務所には支援隊の面構えのメンバーが終結していた。エコリパブリック渋谷拓弥理事長の挨拶で現地リーダー相内氏が紹介された。炊き出しの食材や調理器具が準備したトラックに積み込まれた。中には名前の書いてある赤いランドセルも2つあった。近隣住民に配慮して、最小限のアナウンスの後、は野田村を目指して予定より20分ほど遅れて出発した。
支援物資を積んだトラック・バス・バン・マイクロバスが隊列をなして東北自動車道に入った。当初予定の花輪インターで休憩をはさみ、軽米インターを降りた駐車場でミーティングを開いた。すでに現地支援の経験のある。土岐先生、山下淳教授の両名より被災地活動の説明があった。土岐先生より野田村の現地の状況の説明があった。また、炊き出しは「食べさせる」のではなく「共に作る」ことを意識した活動をしてほしいとの共通認識についてもアナウンスがあった。道の駅おおのに向かう途中でコンビニに入った。被災地に近い地域の割にカップラーメンや乾電池、おにぎりが陳列していることに違和感を覚えた。
最終の休憩地を経て、野田村に入った。国道を右折して村に入ると瓦礫の山が私たちの視界に入ってきた。村のメインストリートであったと思われ商店街もほとんどが津波での浸水被害にあっていた。車窓から右手を見上げると愛宕神社とかかれた大きな鳥居が立っていたが、足元は瓦礫が散乱していた。9時30分支援隊一行は野田村役場前に到着した。役場は1階が浸水した形跡はあるものの役場として最低限の機能を果たせる状態に見えた。役場の駐車場から海の方向を見渡すと果てしないほどの瓦礫の山であった。
瓦礫の山を海の方面に進むと消防署が見えた。機能はしていると思われるが、明らかに津波の傷跡が感じられた。この消防署から先は1件も利用できる建物はなかった。津波の恐ろしさを目の当たりにしながらもさらに海に向かうと重機での瓦礫除去作業が見えてきた。重機で作業しているのは遺体の回収は終わったのか、それとも諦めての除去なのか・・・
さらに進むと川らしき場所にたどり着いた。ここより先には徒歩では進めそうになかったが、被災地の住民と思われる老人と出会った。「こんにちは!」声をかけると老人は津波の状況を話してくれた。報道でも言われているように海岸まで津波が押し寄せるまでには時間があったそうだ。だが、住民たちには油断があったことを老人は話し始めた。1ヶ月前には新しい防波堤ができたこともあり、お年寄りの中には全く避難をすることなく津波の被害にあったとのことだった。
別の老人と話した。老人は泥まみれの写真の中から自分に関係した写真を探していると話していた。老人の家は床下浸水で住んだそうだ。多くの知人の家は流され避難所での生活をしていることを話していた。瓦礫の下にはまだ遺体があるのかを聞いてみた。野田村の死者は30数名で行方不明者は現在いないとのことだった。私の想像の野田村とはまたも違った答えだった。
野田村の役場の前には救援物資の配布コーナーあった。奪い合うような様子もなく被災者の方がパンやお菓子、飲み物の支給を受けていた。役場の中に入ると役場職員と思われる人たちが忙しそうに動いていた。床には浸水の形跡が見られたが机の上は散らかっているが何もできない状況ではないことはすぐにわかった。支援活動が2回目以降の人は役場職員と面識があるようで挨拶し、状況の確認をしていた。
役場の掲示板を見ると避難所と避難民のリストが張ってあった。掲示板1枚に収まる程度なので避難民の数はさほど多くないと感じた。役場の出入り口には「災害本部関係者用食料」と書いてあったが黒くなったバナナしか入っていなかった。被災者に配られている食料のイメージとはギャップがあった。
段取りを理解していなかった私は目的の「炊き出し」の時間まで自由行動になることを知らなかった。約1時間の時間があったので車で村を巡回した。道路は泥や埃が多いものの瓦礫などはなく走ることに抵抗感はなかった。津波で流されなかった家や商店の住民たちは瓦礫撤去や掃除をして通常の生活に戻ろうとしていた。ある商店は営業しているようにも見えた。
村の中心街か・迯蒼ケに出て海沿いを走った。海沿いの松林は流されているのがわかった。大きな堤防の決壊したあとも見えた。高台から村役場方面を見ると戦場を思わせるような光景が広がった。
炊き出しを開始するとの連絡があり役場の前に戻った。既に黒石焼きそばの会のメンバーは準備を始めていた。役場前と避難所に分かれて作業するようで多くの支援隊は避難所に向かった。私は役場の前でポトフ作りに参加した。下準備はできていたので調理作業は少なかったが、プロパンガスが足りるのかどうかは気になっていた。
手際のいい黒石焼きそばは早くも完成し、声がけをして住民を集めた。焼きそばの匂いに誘われた住民があつまってちょっとした行列ができた。行列のおばあさんに話を聞いた。家が流されたおばあさんは親戚に身を寄せているとのことだった。全国で被災者の受け入れの準備をしている地域があることについて聞いてみた。「わたしもそうだけど、野田村の住民は誰もこの地域を離れるつもりはないよ。」被災者の受け入れに応じるような気配は話を聞いている隣のおばあさんの表情にも表れていた。またも私の思っていた被災者の状況とはかけ離れている答えだった。
ほどなく「温かいポトフ」が完成した。結局自分は情報収集ばかりして調理には参加していなかった。焼きそば渋滞も解消に向かっていた頃でポトフは並ぶことなくすぐに食べられた。岡元行人県議会議員は豪快にポトフを盛り付けしていた。「ポトフって何だ?」という老人も暖かい野菜や肉を食べて喜んでいたのが、私も「なぜポトフなのだろう?」と思った。ポトフの炊き出しは行列もできず、むしろ営業活動が必要になった。最終的には他のボランティアや私たち支援隊が食べなければならなくなった。ポトフも黒石つゆ焼きそばも予想以上に美味しく感動した。
炊き出しも目的だったが、支援物資の提供も大きな目的であった。時間のなかった私は、家にあった「うまい棒」を子供たちに配るイメージを勝手に抱いていた。支援物資が集まっている体育館があると聞いて出向いてみた。弘前市役所の職員の方と体育館に入ると驚くべき光景が待っていた。
体育館の2階から館内を見渡すと膨大な量の支援物資の山があった。カップラーメンや米、菓子パン、缶詰、水などの食料品。毛布やおむつ、歯磨き粉など日用品も大量にあった。歯磨き粉は野田村の住民の数より多いように思えた。水を運んでいる若者グループの声が聞こえた。「もうこの水は見たくない」といいながら2階までミネラルウォーターの箱を際限なく運んでいた。私はすこし支援が暴力的に感じられた。
青森県産りんごも大量に積まれていた。菓子パンをみると賞味期限が迫っていた。野田村の人口は約4600と聞いていた。明らかに過剰な支援物資があることを実感した。「うまい棒」のダンボール箱を見た瞬間、私の持ってきた「うまい棒」は持ち帰るしかないと決意した。
支援物資を仕分けしている職員に話を聞くことができた。この支援物資は明らかに過剰な状態だと話していた。毎日トラックが到着し困っていると話していた。特に困るのは個人の支援物資を送られてくることだと話していた。
私たち支援隊のトラックの中のことを言われているような気がしたので私は今回持ってきた支援物資の話はしなかった。
津軽衆有志野田村支援隊の趣旨を話した。炊き出しについて聞いてみた。「この村に今炊き出しは必要か?」必要ないとのことも予想されたが「復興のために働いているので昼はいらない。夜ならみんな喜ぶだろう。」とのことであった。また、現在の状況についても役場職員の話をきけた。今日現在、野田村の死亡者は35名行方不明者は0人とのことだった。他の地域に比べると被害が軽いのではないかとの話もしていた。また、子供の被害者は0名だが、春休みの子供たちは家にこもったままで心配だとも話していた。スポネット弘前の鹿内さんが子供たちと一緒にサッカーをする提案をしていた。炊き出し部隊からの連絡で私は体育館を後にした。
炊き出しの後片付けを行い、私は野田村をあとにした。私が感じた野田村は私の事前情報とは違って・「た。ITなど情報化は進んでいるにも関わらず、私の情報は正確ではなかった。そして、その日も弘前で支援物資を集める活動の情報があった。野田村の公式のWebサイトは存在していないため、現在の物資の過剰供給状態の情報は公式情報として発信されていない。「事態は場所によって異なり、常に変化している。」この情報も3月31日の野田村役場周辺の情報に過ぎない。本来、情報はどのように伝わるべきか考える必要性を感じた。このことは3月4日の震災復興フォーラムでも話し合いたいと思う。
私たちはふるさとの未来、こどもたちの未来に責任あるジェネレーションであることを自覚し、もつけ(津軽衆)が集い、行動(デザイン)する若手集団である。次の青森県議会議員選挙では行動する岡元行人君を支持し、これまでの政治経験も踏まえ今後は結果を出してもらうために選挙活動を支援していく。さらに選挙活動において生まれるコミュニティを将来に向けて拡大していく。
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